REPORT
レポート
SHIBUYA109 lab.
2018.06.26
#エンタメ・カルチャー
【東大研究員×フリュー×SHIBUYA109 lab.連載企画】プリ帳HISTORY第2回
【東大研究員×フリュー ×SHIBUYA109 lab.連載企画】 プリ帳HISTORY第2回 「プリ帳」からガールズカルチャー史をひも解く本連載。第2回目のゲストは、渋谷のギャルサー元代表・古田奈々恵さん。
毎回ゲストを迎えて「プリ帳」から日本のガールズカルチャー史をひも解く連載企画“プリ帳ヒストリー”。
“盛り”を研究する久保友香先生。誕生以来若い子たちを魅了し、その青春を写し出してきたプリントシール機シェアNo.1のフリュー株式会社。そして長年若者の流行を見続けてきたSHIBUYA109の視点をかけ合わせることで、各世代のプリ帳を考察していきます。
第2回目のゲストには、渋谷の高校へ通い、大学時代は“ギャルサー”へ入ってプリを使ったサークルのパンフレット編集をしていたという、古田奈々恵さんにお越しいただきました。

ゲストの「プリ履歴書」

 

【研究メンバーはこの3人】

 

久保友香先生

シンデレラテクノロジーを研究

稲垣涼子さん

フリュー株式会社『ガールズトレンド研究所』で所長を務める

長田麻衣

「SHIBUYA109lab.」で所長を務める

 

「渋谷の女子高生になろう」と渋谷の高校へ進学。毎日渋谷で人間観察をしていた

 

奈々恵さんが中学生のときに一番影響を受けたものは何ですか?

 

『ストニュー(高校生向けファッション雑誌「東京ストリートニュース!」の略)』ですね。中学は都下にある真面目な学校へ通っていたので、プリや渋谷のカルチャーとはほぼ真逆だったのですが、その頃『ストニュー』を読み始めて「マルキューというのがあるのか、週末に行ってみよう」とか「人気高校(共学)ランキングがあり、私はここに通って最先端の女子高校生になろう」と思うようになり、高校は渋谷の学校に進学しました。

中学の時はまだお化粧とかもしていなかったのですか?

 

ほぼしていません。マルキューも本当にがんばって休日にお友達と遠征に行く場所という感じでしたね。最初は原宿までで、隣の渋谷に行けなかったですし…。ギャルが怖くて(笑)。

私も原宿から入りました。

 

高校生の頃は、どんな生活をされていたのですか?

 

ほぼ毎日、意味もなく渋谷にいましたね。センター街とマルキューの階段で人間観察。ずーっとギャルやギャル男を見ていました。

おしゃれな人を見て参考にしていたということですか?

 

それもありますし、その時ちょうど高校生ブームという感じだったので「あれ何々高校だ」とか「今度あそこの文化祭に行こう」とか。あと、少しナンパ待ちみたいなのもありました。何かをしていたというよりは、ただただ、たむろっているという感じでしたね。

SHIBUYA109に通う日々。カリスマ店員から影響を受けていた

 

高校生の時、SHIBUYA109にはよく行っていましたか?

 

学校が渋谷ということもあって、毎日行っていました!

 

毎日!?

SHIBUYA109がちょうど女子高生向けにリニューアルしたのが96年で、97年から「ギャルの聖地」と言われるようになり、この年の売上トップが「me Jane」でした。奈々恵さんが高校にあがった98年には、カリスマ店員ブームが到来してますね。厚底ブーツとかサンダルがヒットして、店舗だと「COCOLULU」や「ROSE FAN FAN」などが出店していました。 好きなブランドはありましたか?

その後働くことになる「CECIL McBEE」や、「me Jane」「KAPALUA」「XOXO」などですね。まんべんなく買っていました!

注目していたカリスマ店員さんはいましたか?

 

やはり中根麗子さん!本当に群を抜いてキレイだなと思っていました。

 

どのような影響を受けましたか?

 

99年に中根さんがエクステをつけはじめたので、私も真似してつけるようになりましたね。今でもつけています。ボリューミーなヘアでないと洋服映えしないと考えているので、当時は必死にバイトをしてエクステ1回に6万円くらいかけていました。

他にSHIBUYA109に影響を受けたことってありますか?

 

高1のとき5組だったのですが、「105」と書いて「マルゴ」って呼んでました。プリにもよく登場しています(笑)。

「マルキュー」的な感じ!!

そう!やはりマルキューさんの名前が有名だから、完全に影響受けていますね(笑)。今でも、マルゴって呼んでいます!

プリ帳は日記帳のようなもの。友達と遊びに行く際のファッション選びにも使っていた

 

プリ帳がパズルのようでキレイ! 日付を貼ったり、落書きで場所を書いたりしていますが、こだわりは何かありましたか?

プリって「何月何日にどこで誰と撮ったのか」を記録するための日記帳みたいなもので。友達と遊ぶときに前と同じ服で行くのがすごく嫌だったので、プリ帳を見返して「この子と遊んだときは、これとこれを着たから、今回はこっち」と服選びにも役立てていました。

ブログとかで「今日のコーデ」みたいなのがありましたけれど、この時期にプリでやっていたのですね!

一方で友達も私と遊ぶとき、同じように前のプリをチェックして着ていない服で来てくれたので、毎回違うコーデのプリになったのが良かったです。

だから、こんなすばらしいファッション誌のようなプリ帳が出来上がったんですね!

自己満足なんですけれどね(笑)!

 

落書きで「試験」とか書いてあって、ちゃんと試験勉強もしていたんだなと感心しました。

試験勉強してないから、プリ撮っているんですけれどね!「明日は試験」とか、勉強しろよって感じですよね(笑)!

コミュニケーションツールは“テレネーム”。スクショがないから必死にメモで記録していた

高校時代、よく使っていた連絡手段は何でしたか?

 

DDIポケットのピッチ(PHS)のテレネームをよく使っていました!

 

テレネーム!? 全然聞いたことがない!

 

ピッチの“発信テレネーム”というところに、18文字以内の半角カナを打ち込んで送りたい相手に電話をかけるんですよ。プルっと一瞬鳴らして相手が出る前にこちらが切ると、お金がかからず相手側に文字だけ送れる、通称ワンギリです。出られてしまうと料金がかかってしまうのでそこは出られないようにというのがお約束でした。

本来の使用方法としては、電話をかける際に、相手の端末に自分の名前を表示させるための機能であったらしいですよ。

「キョウクレープタベル?(今日クレープ食べる?)」とか、全部カタカナで打たなければいけないんです。また、「プ」の丸も一文字使ってしまうので、どんどん言葉は略すようになっていきましたね。それでマルキューも私たちの中ではキューになりました。

メディアの制限によって生まれる言葉みたいなのがあるんですね。

 

そうですね。しかも、今みたいにスクショができないので、来た文字を必死でメモっていました(笑)。たしか記録に上限があって、何回にも分けて長文で送ってくる人もいたので、消える前に急いで記録!という感じでした。

高校生のコミュニケーションパワーはすごい‼︎

ピッチを持つ前は、掲示板とかもよく使っていましたね。東横線の今はなき、渋谷のホームの掲示板にみんなチョークでいろいろと書くんですけれど、例えば「今、ファッキン(ファーストキッチン)いるね。ななえ」みたいな感じで。そうするとファッキンにみんな集合するという…!

それでちゃんと集合できるのがすごい!

 

今じゃ、掲示板はみんな信用しないでしょうね。

 

大学時代は「ギャルサー」で活動。パンフレットの写真はすべてプリを使っていた

 

大学生に入ってからはどのような活動をされていたんですか?

 

「Angeleek」というギャルサークル(通称ギャルサー)に入り、私はイベント時に配布するパンフレットを編集長として作っていました。これらの冊子、表紙や中に使う写真がプリなんです!

全部プリってすごい!どうやって制作は進めるんですか?

 

まず構成を手書きで書いて決めるんですけれど、ここにこの人のプリが必要とか、この人は2枚必要とか決まったら、みんなに伝えてプリを募集します

集めるのが大変そうですが、ルールなどはありましたか?

 

「みんな、1人で1枚のプリに映る通称ソロプリを撮って提出するのですが、盛れてない場合「これ撮り直し」とか言って私が結構却下していました。その人にとって最高の状態のプリを持ってきたところで、受け取ります。私も1日8回くらい撮り直すこともありましたね。

盛れてる・盛れてないはどういう基準でしたか?

 

(盛れていないのは)髪型で巻きが崩れている時とかです。プリンはヤンキーっぽいので問題外!!そういう時は帽子をかぶったり、上をトリミングして見えないようにしたり。やっぱり下品な感じにはしたくなかったので…。

この機種で撮りなさい!みたいな指定をすることもあったのですか?

 

『劇的美写』が多かったですね。背景色も指定しました。白飛びしなくて、黒いまま写ったので。

プリ機の傾向として、どんどん肌が白く映るようになっていったことについてはどう思われていましたか?

 

冊子の号数を重ねるごとに白飛びするプリ機が増えていたので、よりリアルな黒肌を見せたくて途中からデジカメの写真を採用したりもしましたね。「時代の流れだな、しょうがないな」と思っていました(笑)。

盛れるいまのプリがうらやましい?うらやましくない?

 

大今のプリは昔に比べて“盛れる”要素が強くなっていますが、それについてはどう思いますか?

あんなに顔を変えられるのは、やはりうらやましい!ですけど、最近のプリのように目が少し大きくなり過ぎたりすると、顔が変わってしまうのでちょっと…。私たち世代は、撮る前から盛るようにがんばっていたので、あそこまで顔が変わらなくてもいいかなとは思います。

全部プリってすごい!どうやって制作は進めるんですか?

 

まず構成を手書きで書いて決めるんですけれど、ここにこの人のプリが必要とか、この人は2枚必要とか決まったら、みんなに伝えてプリを募集します

そうか、そのプロセスを楽しんでいたということもあったのですね。

 

はい、シャドウやハイライトをどこにどう入れるかとか。

 

プリ機が盛ってくれるようになったので、プリで盛るために化粧を!という気持ちは昔ほど強くないかもしれませんね

 

あと、今のプリはデータで保存できるのがいいですよね!シールだけだと、どうしてもどんどん色彩が劣化してしまうので…。

 

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PROFILE

 

稲垣 涼子 Ryoko Inagaki

2005年入社以来、プリントシール機の商品企画に携わる。現在はマネージメントも行う。
趣味は、美味しいもの、漫画、カラオケ、ホットヨガ、ダイビング、脱出ゲーム。なんでも記録するログ癖あり。
今年の目標は、社内の仕組みを整える、社外の方とたくさんお話する、家をキレイに保つこと!

久保 友香 Yuka Kubo

東京大学大学院博士課程修了(環境学博士)。東京大学先端科学技術研究センター特任助教、東京工科大学メディア学部講師、東京大学大学院情報理工学系研究科特任研究員など歴任。著書に『「盛り」の誕生―女の子とテクノロジーが生んだ日本の美意識』(太田出版、2019)。
好きなものは、ビール、羊羹、芸能ニュース。
今年の目標は、昨年に引き続き、昭和初期を知るおばあちゃんたちとたくさん会うこと。

 

長田 麻衣 Mai Osada

総合マーケティング会社を経て、SHIBUYA109のマーケティング担当となる。
毎月200人のaround20(15歳〜24歳の男女)と接する毎日を過ごしている。
好きなものは、うどん、カラオケ、ドライブ。
今年の目標はSHIBUYA109 lab.所長として若者に関する講演に講師として登壇すること。そして「大人っぽさ」と「透明感」を兼ね備えた女性になること。

古田 奈々恵 Nanae Furuta

学生時代、日本で一番メディアに取り上げられた「Angeleek」というギャルサーの代表を務め、数々の学生イベント運営を経験。 会社員として働きながら世界の国々を制覇するのが目標。現在46ヵ国、年内で50ヵ国を目指す。

SHIBUYA109が「ギャルの聖地」と呼ばれていた時代に高校生だった古田さんのお話はとても興味深かったです!「プリ」と「SHIBUYA109」は当時から女子高生の生活の中心にあったようですね。
「限られた中でどう自己表現・コミュニケーションをしていくか」が考え抜かれていて、当時の彼女たちの強いパワーを感じました。